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古書 尾形光琳
困窮の中で才能を開花させた画家、骨董買取・尾形光琳。
江戸時代半ばに活躍し、後に「琳派」という画派を築き上げた人物、それが尾形光琳です。尾形光琳が築き上げた「琳派」という画派は、大画面に装飾的な絵、つまり背景として映える作品です。日本の伝統を感じさせる作風や斬新な構図への彼のチャレンジ精神は、当時の京都の裕福な人々を魅了し、多くの顧客を獲得していきました。革新的な尾形光琳の作品の模様は「光琳模様」と呼ばれ、当時から現代に至るまで、多くの絵師や工芸家に多大な影響を与えてきました。そんな偉大な功績を残した尾形光琳ですが、尾形光琳は父が残した莫大な財産も、自身が稼いだものも遊びごとにことごとく使い、ついには弟に借金までしていたという、少々情けない人生を歩んでいました。遊び人であった彼が天才と呼べる画家への道を歩み始めたのは、なんと40代になってからだったのです。人としては、決して褒められた性格ではなかったことがこのエピソードから窺い知れます。ですが尾形光琳の才能は確かなものであったことには間違いありません。
彼の代表作である国宝「燕子花図屏風」は、平安時代に成立した歌物語である「伊勢物語」を題材としている作品で、伊勢物語の第九段、「八橋」の様子が描かれています。金の背景に、群青色の燕子花と茎、葉が描かれているというシンプルな構図の作品ですが、尾形光琳はその構図の中に広い空間があるように思わせる描き方をしており、暗めな色合いで描かれている燕子花の後ろに広がる金色の空間は、無限を感じさせ、まるで伊勢物語の世界がそこに広がっているかのようです。尾形光琳は遊び人であったため散財し、経済的に困窮に陥り画業に力を注いだという人物でしたが、その困窮が彼の天才的な構図の取り方、「光琳模様」と呼ばれるまでになった描き方を生み出したのは事実です。天才とは、決して華やかな人生の中を歩み続けた者だけに現れるのではなく、どんな人間にも力を開花させることが出来るということを、尾形光琳は教えてくれたような気がします。経済的困窮からどのように思い画くことを始めたのかは現在ではわかりかねますが、40代からと、遅咲きながら後世に語り継がれる画家になれるとは、尾形光琳でさえきっと考えもしていなかったでしょう。